洞泉寺の歴史

洞泉寺の歴史

祈り続けて700余年

古伝によりますと洞泉寺は1313年に豊田市保見町の霞渓(かけい)という地で開山されたということです。
山号である「霞渓山」は地名からきており「洞泉寺」の名は文字通り付近に清らかな泉が湧くお洞があったとのことです。
現在洞泉寺はは総本山京都知恩院直末寺院の浄土宗ですが、開山当初は法相宗の寺院として発足し、後には天台宗に改宗されました。
1468年頃に、関東の名刹弘経寺の開山である嘆譽上人のお弟子様がお念仏を広める為に当地を訪れたのを機に現在の浄土宗に改められて、今もお念仏の教えが受け継がれています。

挙母の街に

浄土宗へ改宗後まもなく挙母の地「夏焼」(現在の小坂本町付近)に移転され隆盛しまして、桜城が築城されるのを機に桜町に移転しましたが矢作川の度重なる水害により城、洞泉寺ともに被害を被っておりました。

1660年頃桜城の代わりに挙母城(七州城)が高台に築城されるのを機に当時の挙母藩の城主であられました内藤学文候の支援を得て洞泉寺も合せて現在の小坂町の地に広大な敷地を賜り、移転することとなったといわれております。

700年の歴史を積み重ねた洞泉寺は開山上人、内藤家のお殿様はじめ、お檀家様、信者の方々に支えられ、洞泉寺住職も30代を数えます。
各人、各上人のご尽力があって今の洞泉寺があることを歴史を振り返ると頭が下がります。